柏尾通り大山道とは・・・
大山詣に利用された主要8道の大山道のひとつで、戸塚宿近くの柏尾の不動坂で東海道と分岐し、長後、用田、本郷を抜け、相模川にかかる戸沢橋の南側にあったという戸田の渡しを経て、大山に至っていました。
江戸や房総方面からは、戸塚宿付近の柏尾まで東海道を歩き、ここから柏尾通り大山道を歩き、大山詣でをする。そして帰りは、田村通り大山道(藤沢の四谷で東海道と接続する)を歩いて藤沢まで来る。そこから風光明媚な江ノ島道を通って江ノ島詣をする。さらには「鎌倉」「金沢」方面まで足を延ばし、江戸方面に帰っていく。そんなわけで、「柏尾通り大山道」は、数ある大山道の中でもにぎわった道でした。つまり、昔の観光旅行の王道ルートだったということでしょうか。
現在の県道22号「横浜伊勢原線」に概ね受け継がれています。
江戸時代に大山詣でが流行したわけ
江戸時代に入ると、大山へ参詣に向かう庶民が急増したようです。1年に大山を訪れた人は何と約20万人(当時の江戸の人口が100万人の時代ですので、約1/5の人たち)!
この過熱ぶりは何なんでしょうか?
一つの答えは当時の庶民は、観光旅行が許されていなかったようです。しかし、参詣に行くと言えば国境を越える通行手形も簡単に手に入れられ、伊勢詣や富士詣などの寺社参詣を兼ねた物見遊山の旅が大流行したそうです。
中でも江戸の町から2~3日の距離にあり、難所である箱根の関所を越える必要がない大山は気軽に参拝できることから、絶好の行楽地として愛されていたようです。その時に使われていたのが大山道だったようです。
1.大山前不動からスタート
東海道の不動坂交差点近くに大山前不動があります。「柏尾通り大山道」はここで東海道から分岐していました。ここがこの大山道の始点となります。
ここには道標を含めた6基がありますが、近代になってこの場所に集められたようです。
お堂前の細い道を歩いていくと程なく上に「大山架線橋」があり、下写真の階段から架線橋上に上がることができます。この「大山架線橋」を歩いて東海道の線路と柏尾川を越えます。この大山架線橋の名前は、大山道の名残でしょうか。
2.阿久和川沿いを歩く
横浜新道の下をくぐると阿久和川沿いに散歩道があります。散歩道には下写真のような案内標識があります。県道と並行している散歩道を歩くことにしました。
3.永明寺別院門前の道標
県道から不動橋を渡ったすぐのところに永明寺別院があります。
今回の一番の見どころは何といっても不動明王像をのせた道標
珍しいものを見させていただきました(^-^) 左にある石塔は出羽三山供養塔です。
永明寺は左上の山上にありますが、今回は右側を進んでいきます。
4.西田谷戸 地神塔
左側に緑を感じながら静かな道を進みます。
この辺りは西田谷戸と呼ばれていたようで、現在は宅地開発が進み、全く面影はありませんが、実際に谷戸田が広がっていたようです。
今は無き水田のわきを流れる小川やのどかな谷戸の里の風景を想像しながら歩きました。
細い右側の道を進みます。
5.中川地区センター
中川地区センターに移設された駐車場横の庚申塔など
6.中川地区センター ~ 芝原
この区間の道はとても分かりにくくて苦労しました。詳しくは、コース地図を確認してください。
この区間ではこの大山道初めての大山と富士山の揃い踏みを見ることが出来ました(^-^)
芝原(和泉小学校入口交差点付近)
ここと交差するのは、「鎌倉道(鎌倉街道)」。この「鎌倉道」はいわゆる「古道鎌倉道」ではありませんが、江戸時代からの古道があったことは庚申塔の記述からわかります。
ここにはベンチが設置されており、休憩も出来ます。
7.芝原 ~ いずみ中央駅
広い農道を進み、和泉小学校の前を進むと目の前にまた富士山と大山が見えます(^-^)
この分岐の右手畑の中に出羽三山供養塔があり、それを目印に左側の住宅地へ入っていきます。
畑にある出羽三山供養塔
住宅地内の道を進むと、道沿いの右手にこのように石塔が並んでいます。
さらに住宅地内の道を進むと、県道22号「横浜伊勢原線」(長後街道)に出ます。
いったん長後街道を横切ると右かがわに神明社があり、その傍ら道沿いに蚕霊供養塔と庚申塔が並んで置かれており、これらは柏尾通り大山道の道標を兼ねているものもあります。
そして、程なくしてこの日の目的地「いずみ中央駅」に到着!
次回へ続く…
1コメント
2017.05.05 21:39